不倫の真実はどこまで知るべき?信じていた現実が崩れたとき

夕暮れのダイニングテーブルに置かれた二つのカップと、窓に映る静かな室内 夫婦・パートナーシップ

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あなたは、今自分が見えている現実を、どこまで「本当の現実」だと思っていますか。不倫を疑ったとき、真実を追うのか、それとも今の生活を守るために追わないのか。私は、どちらにも正解はないと思っています。大事なのは、その先をどう生きるために知りたいのかを自分で決めることだと思っています。

夫婦は同じ土台に立っていると思っていた

自分に見えている現実だけが現実ではないことくらい、もちろん分かっていました。私が家で子どもを育てている時間、夫は会社で仕事をしている。私には私の日常があって、夫には夫の日常がある。それぞれに相手の知らない時間があるのは当たり前です。

でも、その二つの生活の根底にあるものは同じだと思っていたんですよね。同じ家族であること。夫婦として信頼し合うこと。協力して家庭をつくること。そこには愛情があって、少なくとも家庭というものについては、同じ前提を共有していると思い込んでいました。

そんなこと、結婚するときに一つひとつ確認したわけではありません。「私たちはお互いを裏切らないですよね」「家族を大事にしますよね」なんて契約書を交わしたわけでもない。でも私にとっては、確認する必要さえないくらい当たり前のことでした。

ところが不倫が発覚したことで、夫への信頼が消え、共有していると思っていた「夫婦としての前提」が全て崩れ落ちたような感覚でした。

不倫発覚前は「家族・信頼・協力・愛情・夫婦の約束」という共通の前提の上に夫婦それぞれの日常があり、発覚後にその前提が崩れた感覚を表した図解

心理学には、「想定世界の崩壊」という考え方があります。強い出来事によって、それまで当然だと思っていた自分や他者、世界についての前提そのものが揺らぐ、というものです。不倫が発覚した人がみんなそうなるという意味ではありませんが、私の「一部分ではなく、全部が崩れたように感じた」という感覚には近いものがあると思いました。

不倫が分かっても、夫婦関係の問題として切り分けて考えられる人もいると思います。自分という土台がまずあって、その中に「結婚している自分」や「親である自分」があるなら、夫婦に大きな問題が起きても、自分の人生そのものまで全部が崩れるわけではないのかもしれません。

でも私は、たぶんそうではありませんでした。私の人生の中に夫婦があったのではなく、夫婦そのものが人生の土台になっていた。二人で協力して生きていくことが前提で、家庭も子育ても将来も、その上に全部乗っていたんだと思います。

だから不倫が分かったとき、壊れたのは夫婦関係の一部分ではありませんでした。人生そのものを支えていると思っていた土台が、実は私だけがそう思っていたのかもしれない。 そこが、私には一番大きかったのだと思います。

知らなければ、不倫は私の現実に存在しなかった

今になって私は、あの真実を知る必要があったのだろうか?と思うことがあります。何も知らなければ、あれほど傷つくこともなかったし、私の現実世界に夫の不倫は存在しなかったのです。

現実は夫の嘘という土台の上に家庭が続いている危うい状態だったとしても、私がそれを知りさえしなければ、私の毎日はそれまでと同じように続いたかもしれません。

薄々おかしいと思っていても、あえて追求しないこともできます。意図的に「ないことにする」ことだってできる。家庭を壊したくない、今は子供の生活を変えたくない、あるいは自分自身がまだ真実を受け止められない。いろいろな理由で、追求しないという選択をする人もいると思います。

私は、それを弱いとも間違っているとも思いません。知らないことを選ぶのも、一つの意思決定だからです。

反対に、「今自分に見えているものだけでは、自分の人生を決められない」と思う人もいるでしょう。自分には見えていない現実まで知ってから、夫婦を続けるのか、離れるのか、それとも何もしないのかを考えたい。それも一つの選択です。

大事なのは、「真実は知るべきだから知る」ではなく、自分は何を決めるために知りたいのかだと思います。

すべての真実を知ることは不可能

真実の一部分を知ると、次が知りたくなります。何が嘘で何が本当だったのか。あの日もそうだったのか。じゃあ、あの日は?今までは家族の思い出だったことまで、全てが嘘に思えてくるのです。
真実を知りたいと思った結果、知ったことでより苦しくなったりしました。

そもそも、全ての真実なんて知ることはできません。夫と不倫相手が何を考え、どんな気持ちで会っていたのか。仮に本人たちから聞いたとしても、それが本当かどうか確かめる方法もありません。

実際、二度目に不倫された時、私は探偵に依頼して、夫の言葉だけでは分からなかった事実を知ることができました。でも、一度目からずっと関係が続いていたのか、一度別れてまた始まったのかは、今でも私には分かりません。そこは、夫と不倫相手の二人しか真実はわかりません。

探偵に依頼したときのことは「探偵に不倫調査を依頼した私の体験|LINE通知を見た日から報告書・費用まで」に詳しく書いています。

必要な真実と、知らなくてもいいことは違う

二度目に不倫されたとき、私にははっきりした目的がありました。不倫相手に慰謝料を請求する。そのための証拠を取るという目的です。そのために私は、夫を問い詰めることは一切せず、探偵に依頼しました。

このとき私が知りたかったのは、証拠であり、行動するために必要な事実でした。今の私なら真実が知りたいと思った時、なんのためにそれを知ろうとするのか。とまず考えることができると思います。

一度目に不倫された時、私は「なぜ不倫関係になったのか」「どこで会っていたのか」「どんな会話をしていたのか」「子供のことは考えなかったのか」と怒りとともに際限なく問い詰めていました。真実が知りたいという一心ではありましたが、今思えば夫の説明が真実とは限らないし、真実を知るための問いではなく怒りに任せて責め続けているだけだったようにも思います。

私は、自分で決めること自体に慣れていなかった

若くして結婚した私は、自分の考えより夫の考えを優先することが多く、今振り返ると、自分で決める責任を負わず、夫に依存していた部分があったのだと思います。

不倫されたあと、その依存していた相手が急に自分から切り離され、敵のように感じるようになりました。それまで何をするにも二人で相談して決めていたつもりだったのに、これからこの関係をどうするのかは、自分で決めるしかなくなりました。

真実を知れば、それまで知らずに生きていた現実にはもう戻れません。だから私は今、何でも知ればいいとは思っていません。

今の私が、「真実を知ること」について言えるのは、これから自分がどう生きたいのか。そのために何を知る必要があるのか。どこまで知るのか、悩みながらも自分で決めることが大切だと思います。少なくとも自分で決めさえすれば、後悔することはないと思うからです。